落語に見る
「お金の本質」とは?

「落語には、お金の本質を知るためのヒントが散りばめられている」と言う放送作家の和田尚久さん。今回は落語家の桂孔雀さんを招いて、実際に噺(はなし)を聴くことから授業が始まった。

「お金にまつわる演目には、傑作が多いんです。落語は世の中を少々うがった角度から捉える芸能で、そこが面白いところなのですが、その世界観が如実に表れるのがお金にまつわる滑稽噺(こっけいばなし)(面白おかしい演題のこと)なんじゃないかと思っています」

和田さんが考えるお金にまつわる演目の中での傑作は、『三方一両損』、『はてなの茶碗』、『千両みかん』の三演目。『三方一両損』はお金を落とした人と拾った人、両者ともにお金を受け取りたがらず、最後はお裁き沙汰になる噺。最後はお奉行様を含めた3者が「同じ金額だけ損をする」ということで一件落着となる。

「面白いのは、せっかく落としたお金を拾ってもらったのに、『一度懐から出て行った金は俺の金じゃない、そんなモンいらねえ』という妙な“ヤセ我慢”から騒動が始まるところ。江戸の人らしい価値観だなと思います」
桂九雀さん曰く、この『三方一両損』は上方(大阪)落語ではあまり登場しない演目だという。
「まずもって大阪の人は、落とした人も拾った人も『お金はいらん!』なんてことは言いませんからね。それに3人がみんな同じ金額を損してどうのこうのっていうオチがややこしいですやん!(笑)。まあ『三方一両損』は江戸落語の演目ですからね。そう思うと演目自体にも、それを聴くお客さんの反応の中にも江戸と上方のお金に対する価値観の違いが色濃く表れてるんやないですかね」(桂)
今回、桂九雀さんが演じてくれたのは傑作の演目のひとつ『千両みかん』。原因不明の病に伏せる大店の若旦那が、ある日「みかんを食べれば全快する」と言う。そこで番頭は市場へ出かけて行くが、季節は真夏。冬の果物であるみかんが手に入るわけがないことに気づき途方に暮れてしまう。
「そんな中、番頭はみかん問屋で唯一腐らず残っていたみかんを見つけます。問屋がつけた値段はなんと1個千両! その理由は『どうしても食べたいという人のために無駄を承知でこのみかんを保管している。この1個のみかんには、保管するために必要となる費用の全てがかかっている』というもので、大阪商人らしい言い分ですね。いくらなんでも、みかん1個に千両という値段に驚いた番頭はみかんを買わずに戻るのですが、ことの顛末を聞いた大旦那(若旦那の父親)は『千両で息子の命が助かるなら安いものだ』と言う。結局番頭はみかんを買って若旦那に食べさせるわけですが、若旦那が両親にも食べてもらいたいと、みかんを少し残します。ところが、番頭がその残りのみかんを持って夜逃げするんです。そのみかんにものすごい金銭的価値があると勘違いしてしまったんですね。この噺からよくわかるのは、モノの価値というのは相対的で流動的であるということ。
この噺のみかんのように、稀少性が高まればモノの値段は上がります。「みかん」という物体そのものの価値は常に変わっていくという点で、まさに経済です。お金とモノの価値についての本質を上手に、かつ滑稽に描いているのは落語ならではですよね。
こんな風に、落語の中にはお金の本質を鋭くついている演目がたくさんありますので、ぜひ注目して聴いていただけたら、楽しくお金のことを知るきっかけになるのではと思います」
講師プロフィール
和田 尚久(わだ なおひさ)
放送作家。1971年東京都生まれ。落語に関する番組を中心に構成や脚本を手がける。『立川談志まくらコレクション』ほか落語にまつわる著書多数。落語会『人形町らくだ亭』をプロデュースし、定期亭に開催している。
桂 九雀(かつら くじゃく)
落語家。1960年広島県生まれ。1979年に桂枝雀に入門し、茨木市唯敬寺「雀の会」にて初舞台。ナマの声、ナマの楽器にこだわり、小劇場での活動にも力を入れる。落語的手法の演劇「噺劇」を立ち上げ、精力的に活動中。
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